1999年世界で絶対本気で生きる女肉を食べる令和奈良仏教労働者

1999年世界で生き残るため人生絶対本気で生きる公明仏

ベトナム語+タイ語

タイ語

僕⇒ポム
俺⇒グー
あたし⇒ディチャン
お前+わし+我々⇒ラオ
わたくし⇒カーパジャオ
私たち⇒プアックラオ
あいつ⇒マン
きさま⇒ムン
彼ら+彼女ら⇒プアックカオ
おじいさん⇒クンター
おばあさん⇒クンヤーイ
おじさん⇒クンルン
おばさん⇒クンパー
歩く⇒ドゥーン
歌う⇒ローン
怒る⇒グロート
使う⇒チャイ
思う⇒ヌック
書く⇒キエン
考える⇒キット
聞く⇒ファン
注意する⇒ラワン
破壊する⇒タムラーイ
捨てる⇒ティン
食べる⇒ギン
泊まる⇒パック
摘む⇒ジップ
泣く⇒ローンハイ
作る+する⇒タム
眠る⇒ラップ
飲む⇒ドゥーム
走る⇒ウィン
話す⇒プート
愛する⇒ラック
読む⇒アーン
忘れる⇒ルーム
笑う⇒ファロッ
うれしい+喜ぶ⇒ディージャイ
悲しむ⇒サオジャイ
楽しい⇒サヌック
面白い⇒タロック
恐ろしい⇒ナーグルア
恥ずかしい⇒アップアーイ
綺麗な+美しい⇒スゥアイ
汚い+不潔な⇒ソッガプロック
暑い⇒ローン
冷たい+涼しい⇒ジェン
新しい⇒マン
古い⇒ガオ
明るい⇒サワーン
暗い⇒ムート
簡単な+易しい⇒ナガーイ
難しい⇒ヤーク
良い⇒ディー
悪い⇒マイディー
柔らかい⇒オーンヌム
大きい⇒ヤイ
小さい⇒レック
細い+やせている⇒ポーム
太い⇒ウアン
多い⇒マーク
少ない⇒ノーイ
おいしい⇒アロイ
まずい⇒マイアロイ
すっぱい⇒プリアオ
塩辛い⇒ケム
辛い⇒ペット
甘い⇒ワーン
言語⇒パーサー
文⇒プラヨーク
会話⇒ソンタナー
意味⇒クワームマーイ
慣用句⇒サムヌアン
書く事⇒カーンキエン
作文⇒ガーンリエンクワーム
話す事⇒ガーンプート
読むこと⇒ガーンアーン
寝言⇒ガンラムー
口癖⇒カムティットパーク
格言⇒カムパンプーイ
基礎⇒ラダッププーンターン
初級⇒チャントン
中級⇒チャングラーン
上級⇒チャンスーン
語学教室⇒ティーソーンパーサー
通訳⇒ラーム
翻訳⇒プレー
冗談⇒プートレン
手話⇒パーサーバイ
点字⇒アックソーンプレーン
言葉遣い⇒ワーチャー
タイ語⇒パーサータイ
日本語⇒パーサージープン
英語⇒パーサーアングリット
韓国語⇒パーサーガオリー
カンボシア語⇒パーサーカメーン
中国語⇒パーサージー
フランス語⇒パーサーファンランセート
ドイツ語⇒パーサーイェーラマン
ロシア語⇒パーサーラッシア
ベトナム語⇒パーサーウィエットナーム
会社員⇒パナックンガーンポーリサット
主婦⇒メーバーン
学生⇒ナックリエン
大学生⇒ナックスックサー=ニシット
教師⇒クルー
教授⇒アージャーン
医師⇒ペート
看護婦⇒ナーンパヤーバーン
薬剤師⇒ナーンパヤーバーン
公務員⇒カーラーチャガーン
運転手⇒コンカップロット
写真家⇒チャンバープ
大工⇒チャーンマーイ
漁師⇒チャーンプラモン
農家⇒チャ-オライチャーオナー
警察官⇒タムルアット
弁護士⇒タナーイクワーム
軍人⇒タハーン
政治家⇒ナックガーンムアン
作家⇒ナックキエン
実業家⇒ナックトゥラギット
歌手⇒ナックローン
俳優⇒ナックサデーン
監督⇒プーガムガップ
タイ語⇒家族


家族⇒クロープクルア
親戚⇒ヤートピーノーン
両親⇒ペーメー
兄弟姉妹⇒ピーノーン
父⇒ポー
母⇒メー
兄+姉⇒ピー
兄⇒ピーチャーイ
姉⇒ピーサーオ
弟+妹⇒ノーン
弟⇒ノーンチャーイ
妹⇒ノーンサーオ
子供⇒ルーク
息子⇒ルークチャーイ
娘⇒ルークサーオ
夫⇒サーミ
妻⇒パンラヤー
夫⇒プア
妻⇒ミア
婿⇒ルーククーイ
嫁⇒ルークサパイ
父方祖父⇒プー
母方祖父⇒ター
父方の祖母⇒ヤー
母方の祖母⇒ヤーイ
伯父⇒ルン
伯母⇒パー
叔父⇒アー
叔母⇒ナー
甥+男性の孫⇒ラーンチャーイ
姪+孫娘⇒ラーンサーオ
従兄弟⇒ルークピールークノーン
友人⇒プアン
親友⇒プアンサニット


ベトナム語
花火⇒パアオオ・ファアン
放火⇒アアア・サアアン
幼児⇒チイエエン・スウシイイン
女児⇒コオウン・ラアイイン
保育園⇒チュウウン・ルウン・ザアウウン
驚く⇒タアップ・ファムウン・ニイエムウ
馬主⇒チュウ・ニイエムウ
競馬⇒ルウウワムウ
騎馬隊⇒ウワアアン・タアウン・タアアピイイン
タバコ⇒トゥプウラアアン
良い人⇒ムウウルウイ・トオオン
詐欺⇒ザアムウ・ラアムウ
悪い⇒サアオウウ
電話⇒デイイン・トゥエエエタアイイン
見つける⇒ルウウイイ・タエエイイン
不幸⇒ルウウホオウ
幸運⇒ホオオチュウウ
つらい⇒ダアオオ・ルウウン
鉄道⇒ルウンサアアン
英語⇒テイイン・アイイン
家族⇒ムウウ・ザアムウウ・リイイン
魂⇒リイイン・グオオンヌウ
肛門⇒ホオオン・ムオオン
精子⇒ティイン・チュオオムウ
痴漢⇒ムウレエストオオ
裸婦像⇒ムウクウウク・ワアアタアン
現代⇒トオオイ・ヘエエイダアイ
絵画⇒ムウウルウウン・チエエン
画家⇒ムウウ・ハアアシイイヒイ
空間⇒クウウンザアムウ
階段⇒ドウオオタアアン
借金⇒ヌウウ
同級生⇒ホオオグウウ・シイビエムウ
占星術⇒チチエエン・テイエエンハアオウ
占い⇒バアアイトオアムウ
手相⇒パアイン
死ぬ⇒チイエエエ
記念⇒テイイリエエムウ
紙⇒ゼエエイン
髪の毛⇒タアオオン
禿⇒ハアアイ
太っている⇒チイエエエトゥエエムイ
体重⇒チャオオルウウ
呪う⇒ヌイイイエエン
本⇒モオコオオ・サエエン
分かる⇒プオオン・チイヨオオ
発展⇒パアトゥウ・チイエエン
経済成長⇒タアアン・チュウウン・ティンペエエン
時代⇒トオエイイン
すいません⇒シイイン・ロオオイイン
こんにちは⇒チャアオウ
辛い⇒ラアオルウン
待つ⇒ルウウン
障害者⇒ルイタアン・タアン
勝つ⇒デエエン・ザアエエ・チイエエンタアン
負ける⇒デエエン・トゥワアア
気を付ける⇒ファアイクエエン・タアアン
苦しむ⇒ラアオオ・フウウン
罪⇒トオオイ・ロオオイ

近所⇒グウウ・レエエン・タアアン
真面目⇒ニイイン・チイアウ

奇跡⇒チエエエッブラアアン
会う⇒デエエン・タアンプウ・ルウウ
神話⇒フウエエン・タアアイン

 

戦後研究

0-2執筆動機

 

この戦後日本は日本社会党が作ったの内容について①ウィキペディアの引用を一部行いネット参考でコピペのような疑惑部分がある②昭和生まれの老人などの駄目老人や世代批判の思想である③戦後日本を批判する戦後日本否定思想である④女性差別のような主観やわいせつ的な独自妄想のエロ内容である⑤日本社会党と戦後日本の功績と犯罪をたくさん掲載している⇒以上5点が注意点である。卒業論文の内容の執筆動機について以下の思いが事ある。四日市公害に自分が関心を持った理由は以下である→自分は原子爆弾の被害でノーモア広島ノーモア長崎と呼ばれた広島県広島市長崎県長崎市がる。それと戦後の公害被害で有名になったノーモア四日市ノーモア水俣と呼ばれた三重県四日市市熊本県熊本市がある。平成期の福島原子力発電所事故の影響で放射能汚染があったノーモア福島と呼ばれた福島県地域の日本ノーモア5大悲劇都市の1つの三重県四日市市出身である。四日市公害については自分は四日市市出身だが公害被害がない四日市市北部の富洲原地区在住である。中学生時代に四日市南部出身の三浜地区出身の社会科の教師である尾崎先生が埼玉県の中学校で教師だった時代に埼玉県の生徒から四日市市出身の尾崎先生に『先生四日市市に人が住めるのですか』と生徒から質問された紹介話を聞いた。他に尾崎先生が塩浜地区の町が集団移転で町ごとゴーストタウンのように消滅した話をした。他には塩浜中学校の先輩の女子中学生が死亡した話(後でネットで調べたら名前は南君江さんと言う)をした。自分が教科書に掲載されていた水俣病で重度障害者となった少女と母親の入浴姿の写真をわいせつの意味で『ヌード』と馬鹿にして社会科の尾崎先生の怒られたエピソードからである。成人後の日大時代にふと尾崎先生の事を思い出しネットで検索した。ネット検索で集団移転で消滅した町は、九鬼喜久男四日市市長が推進した四日市市の公害対策で集団移転した塩浜地区の平和町と雨池町である事。塩浜地区の死亡した中3の女子学生は昭和27年生まれの南君江さんという事実を知った。福島原発事故四日市ぜんそくが注目されて四日市公害の事を郷土史やネット検索の資料で学んだ事である。金の卵については高校中退問題やいじめ問題・受験競争などの学歴社会に疑問があり、高校全入ではない社会に関心があった事。そして三重短期大学夜間学部の先輩の伊藤忠治議員に人物的なファンで個人的に伊藤忠治議員の支持者であり、津実業高校定時制の50周年の記念史のともしびなどの伊藤忠治の学生時代や金の卵の資料や伊勢新聞の政治記事などで中卒の金の卵労働者が戦後の高度経済成長に貢献した事。2013年の社民党に投票して支持者となり労組基盤の労働者政党として日本社会党を評価する日本の戦後の社会党史観がある、金の卵研究以外では自分は学歴インフレの問題点に関心があった。

戦後論

0-1タイトル・キーワード・私の主張と考え

 

卒業論文の時代範囲は以下である。日本史の近代史(大正~平成を扱う。主に昭和史・四日市市の地域史)である。卒業論文のタイトルは以下である。

『戦後日本は日本社会党が作った』~戦後史を研究するための3つのテーマ(①四日市ぜんそくには意外と知らない公害の諸問題がある。なぜ四日市のみ公害が政治問題化したのか)(②伊藤忠治の人生を取り上げて戦後の中卒金の卵労働者社会から大学全入の学歴社会への移行したのはなぜか)(③どのような過程で戦前の大正世代から平成期の日本の家族像に変化したのか)

 

戦後史研究の論文のリンク関係は以下である。

四日市ぜんそく公害(三重県四日市で公害運動をした革新政党日本社会党である)→日本社会党(労組出身の所属議員が伊藤忠治である)→伊藤忠治(青年時代の出身が金の卵労働者)→金の卵(中卒が当たり前の世代が昭和一桁)→昭和一桁世代(1つ前の世代が大正世代)→大正世代の論文関係である。

 

論文の第1テーマの四日市公害については以下の構成とする→①四日市公害の発生地域など四日市の地理の解説②四日市ぜんそくの原因③医学的な研究論文④他の四大公害病との比較⑤四日市公害の関連人物と四日市市の政治史研究⑥四日市公害の公害対策⑦子供の受けた被害と自殺の増加などのエピソード⑧四日市公害裁判の説明⑨四日市コンビナート企業などで構成する。

論文の第2テーマの金の卵(中卒労働者)については自分が三重短期大学の先輩の伊藤忠治議員に興味あると紹介したら鍋本先生が伊藤忠治の日本社会党の議員活動のみしか認識していなかったが金の卵労働者出身の社会主義者でこの論文では昭和一桁世代の金の卵の若者として取り上げる→①金の卵と呼ばれた印刷工で定時制出身の伊藤忠衆議院議員の学生時代と政治家人生②伊藤忠治と同じ日本社会党社会主義を説明するために田口一男衆議院議員中井徳次郎議員と三重県日本社会党史③中卒が当たり前だった社会の戦後の金の卵労働者④高度成長と高校全入化による学歴社会と学歴インフレなどの教育問題の構成とした。

論文の第3テーマの大正世代については①大正時代と大正世代②戦争による戦死の急増と大正世代③大正世代と家族人口問題④戦後の大正世代と昭和世代との比較の構成とした。

 

キーワードは、第1論文の四日市ぜんそく公害のキーワードは『四日市コンビナート』『紡績産業都市四日市』『重工業化の新産業』『保革対立』『平田佐矩』『九鬼喜久男』『前川辰男』『福田香史』『沢井余志郎』『九鬼喘息やってみろ自殺』『子供の公害病死』『高煙突化対策』『雨池町・平和町の集団移転』『四日市公害裁判』である。

第2論文の金の卵労働者のキーワードは、『伊藤忠治』『津実業高等学校定時制』『昭和一桁世代』『中卒が多い』『高校全入』『田口一男・中井徳次郎日本社会党右派・左派対立』『足立区の町工場』『片山内閣の社会主義政策』『中絶合法化』

第3論文の大正世代のキーワードは、『男性人口が少ない世代』『最後の軍人世代』『最後の家制度世代』『子供数が明治末期世代5人・大正初期世代4人・大正末期世代3人・昭和一桁世代2人』

私の主張・私の考え3点

 

主張①四日市ぜんそくについての主張は、以下である。四日市公害は保守政党革新政党の政治対立の問題であった。三重県の政治対立構造は以下であった。自由民主党四日市コンビナート企業側についていた。一方野党の日本社会党など革新政党四日市ぜんそく公害患者側についていた。平田佐矩が四日市市長時代だった昭和30年代は政治が責任をとっていた。しかし平田の後任の九鬼喜久男四日市市長は公害対策を真面目にしなかった。公害を放置していた。四日市公害に対する政治家としての無責任さが四日市公害裁判の引き金となる。四日市コンビナートが誘致された理由は、四日市東洋紡績・東亜紡織・平田紡績の繊維産業を中心とする繊維都市であった事である。四日市市軽工業都市からの重工業の新しい産業を誘致する必要性があったからである。

主張②金の卵労働者についての主張は、以下である。昭和一桁世代~団塊の世代まで半数の若者が中卒で就職する社会だった。金の卵の中卒労働者が当たり前の社会で日本社会党議員となった伊藤忠治が金の卵のだった代表的人物である。団塊の世代までは、中卒となる理由は貧困で兄弟数が多数、いわゆる子沢山であり、金の卵労働者は勤勉で人間的にも優秀だった。三重県日本社会党と日本の日本社会党社会党右派・社会党左派の対立があった。日本社会党が行った政策は、戦後日本を築いたことになる。中絶を合法化する優生保護法を成立させた。この政策は1950年代以降(昭和30年代以降)から平成期にかけての深刻な少子化を招いた。日本教職員組合など教育界を握った左翼の日本社会党は高校全入化を推進して高校を義務教育化した。中卒金の卵労働者の低学歴社会を終了させた。以下の事から戦後日本は社会党が築いたのである。

主張③大正世代についての主張は、以下である。大正世代は徴兵された最後の正規軍人世代であった。シナ事変~大東亜戦争にかけて急増した戦死によって大正世代の男性人口が少なかった。大正末期世代の性比は75%程度に低下した。平均的な子供数、世代別出生数は以下である。明治末期生まれ世代のは平均子供数は5人であった。大正初期生まれ世代は平均子供数は4人であった。大正末期生まれ世代は平均子供数3人であり、子供を大学に進学させたり、娘のみ家庭が急増して、大正末期世代はサラリーマン化した。日本社会党の女性議員や産婦人科医者出身議員による議員立法だった優生保護法は中絶を合法化しするものだった。中絶合法化の影響で昭和一桁世代には平均子供数は2人まで少子化した。

教育論文

2-9まとめ論文

1980年代に「荒れる中学生」が出現した。『3年B組金八先生』で荒れる中学生を扱った。

荒れる中学生で多かったのは高度経済成長期に都会に出てきた最終学歴が中学卒業の者の子どもたちであった。最近の(中華人民共和国)と同じようなもので、1ドル=360円の時代では、製造業主義で作れば作るほど輸出できたから、中卒でもできるような単純作業の仕事をしていても賃金はぐんぐん上昇していった。昭和20年代は、食糧不足で餓えて、戦災孤児になった未成年者が、生きていくために強盗殺人を行なった時代であった。

 

 池田勇人内閣の「所得倍増計画」で賃金が上昇していくのだから、勉強していなくても、真面目に働けば、よりよい暮らしになると思っていた。戦後の東北地方をはじめとする地方の中学校では、定期試験も実力試験もなかった。高等学校の進学率が20%の時代に、試験を行なう必要はなかった。そうした緊張感のない生学生活をすごした若者たちが、中学を卒業すると「金の卵」として、都会に出てきた。集団就職のための「就職列車」というものがあったのが昭和時代である。中小企業の経営者たちは、安価な労働力の確保のために、地方の中学校を駈けずりまわった。福利厚生を整理充実させて、全寮制にして、家賃・食費を無料またはきわめて安価に抑え、人材確保に奔走した。

 

 高度経済成長期に都会に出てきた中卒の人々は戦後の基準で結婚適齢期となり、昭和40年代に子どもが誕生した。その子供たちが鍋本教授のようなバブル世代を中心とするものであった。昭和40年の15年後は1980年である。子どもをもうけた金の卵労働者は安アパート暮らしから立派な団地くらしとなり、団地の建設ラッシュが始まった。金の卵の子どもたちは、親が定期試験がない中学校を出ただけで、試験勉強というものをしたことがない。だから毎日中卒金の卵の親が勉強をさせるという発想すらない。低学歴の環境で育った子どもたちは自宅ではまったく勉強しないまま中学3年生を迎える。貧困家庭だから高校に進学できない社会でなくなった。大学に進学できないという時代でもなくなっていた。 勉強が苦手なのに、上級学校に進学しなければならない状態になっていた。金の卵だった親も高校ぐらいは出てくれという。

 

金の卵の低学歴者にはマイナス思考がある。特におばさんは低学歴は美徳だの考えや、貧乏だから農家だから自分は低学歴だと言い訳して高学歴になろうとする向上心がない。伊藤忠治議員のように夜間高校・夜間短大に進学して向学心・向上心がある若者ならまだ良かった。団塊の世代までは本人の学習努力以外を原因とする貧困で低学歴な家庭が多かった。人間的にも中卒や定時制高校卒業の金の卵労働者が真面目で大学紛争で暴れていた高学歴な大学生のほうが人間的に甘えていた。平成初期の富洲原地区広報の新成人が半数が学生であった事から、成人=経済的自立の構図から成人していない学生は親のすねかじりだの議論があった。たしかに親のすねかじりは私立大学や3流大学であるが、学生は勉学で仕事を免除される面であるので、大学進学率を下げて公費で学費を無料化すべきである。団塊ジュニア世代まで親が低学歴でも親自身はやむおえず低学歴であり子供の教育にとってそれほど問題がなかった。団塊ジュニア世代の親だった団塊の世代は人間的に問題がなくて、子供が高学歴になるチャンスがあった。しかし新人類世代とその子供のゆとり世代の親である新人類世代は学歴社会の負け組であった。貧困以外の自身の努力不足や勉強嫌いや不真面目さを要因とする低学歴者であり、人間的にも問題があった。新人類世代が低学歴であった場合その子供にも教育上悪影響があった。新人類世代・バブル世代・団塊ジュニア世代の馬鹿な不良は、子供世代に問題があっても親が金の卵でそれほど問題がない親である例が多かった。ゆとり世代の不良の親は、親も低学歴者や人間的に不真面目な場合が多かった。昭和10年代生まれの中卒金の卵の女性が自分の昭和40年代生まれの娘の高校卒業喜ぶ話がニュースとなった。しかし冷静に考えれば、中卒金の卵労働者だった親は平均6人兄弟の子だくさんで貧困で学校に行けなかった世代。一方娘は子供数2人の2人兄弟で大卒を想定する子供数なのに高卒だから負け組である。子供数2人なら1流大学を想定している。子供数3人なら2流大学を想定している。子供数6人なら全員高卒を想定している。知り合いの床屋のおばさんがいるが、中卒金の卵労働者で子供数2人。子供は高卒であり、一流大学でなくて子供数と学歴を考慮すると負け組である。しかも床屋もおばさんの子供数は2人で長男が不妊で二男が子供2人で孫が合計2人で子孫が増えていない。新人類世代の和田秀樹の場合、男2人兄弟で子供は娘2人。山口百恵の場合、女2人姉妹で子供は息子2人。子孫が増加していない。本人たちはそれがおかしいと思っていない。鍋本先生の場合昭和17年生まれの父に妹(結婚しているか子供がいるか不明だが)1人の2人兄妹に長男の鍋本先生が45歳いい年して独身。あと5年で50歳で武田信玄時代では高齢者のおじいさんである。鍋本先生が一生独身なら鍋本家は断絶する。子供数が2人だった場合以下のリスクがある。子供数2人の2人兄弟から子供1人以上の病死・事故死・自殺・他殺・戦前なら戦死・鍋本先生のような独身・子供夫婦の不妊など子供の死亡や子供無しで子孫がゼロ孫化する危険性がある。子孫繁栄を考えた上非常に良くない。よって子供数3人以上いないといけない。子供数2人は1対1の関係でいじめなど人間関係上一番良くない。兄弟で2人兄弟だと遺産相続争いが起きやすい問題がある。男2人兄弟の男性は女性兄弟がいないので女性関係が悪く、レイプ・痴漢などして女の子の気持ちが分からない。2人姉妹の女性も男関係が悪く母親が跡継ぎの息子を産まずその家が断絶する。理想として正常な家族関係を築くために男女両方ともいる。息子・娘がいて3人以上の子供数が必要である。

 

高校無償化政策の議論があるが、中学校より簡単な学習している高校を無償化する必要性があるのか。やる気がない不良や不登校児がいる。小学校6年生以下の学力でしかも普通科高校であり、職業高校でない高校を無償化する必要があるのか。文部大臣に聞きたいがいつから高校が義務教育になったのか。義務教育でない高校にやる気がない馬鹿を進学させて良いのか。やる気がある5割のみを高校に進学させるべきである。伊藤忠治が学生だった中卒金の卵時代のように学歴デフレの低学歴社会にすべきでなないか。たとえ全員高校に進学させても、ドイツや富山県のように7割の低学力者は職業中学・職業高校に進学させるべきではないか。大学も学費無料で2割の厳しい試験で入学させる。大学生の公務員化をすべきでないか。残りは通信教育でも良いのではないか。平成の大合併でのどかな田舎である明宝村や鵜殿村を吸収合併して田舎の自治体を消滅させるより大学合併で日大の地方学部にして底辺大学を統合すべきだろう。

 

赤堀部落

津藩は武士身分で武士と百姓・町人の境界的な階層の無足人がいた。

 


近世社会の平人は①百姓②町人であった。

 


最下層身分は賎民身分で①えた②非人③ささら④猿引であった。

 


えた身分とは?

 


近世部落のえた村に居住していた。

死亡牛馬を獲得して処理していた。

死亡牛馬の処理権利を独占していた。

 


①皮革業②ぞうり製造業③太鼓製造業などの産業に従事していた。

 


課された役負担は①皮を納める⇒皮役②警察役③掃除役④行刑であった。

 


非人身分は非人小屋の居住していた。

 


勧進は、決まられた縄張りに慶事や凶事など1年の行事の物乞いをしていた。

 


大黒舞は芸能に従事していた。

 


町や村の治安維持など被差別部落民の賎民身分は警察の役割をしていた。

 


士農工商の用語は紀元前からあった。

中華地域で士農工商の用語を中華帝国が使用していた漢字である。

身分の種類でなくて身分の序列である。

士は武士の事でなくて、士大夫の士である。

 


道義を修めた人と道義を重視する階層を指す。

 


農の表記問題は漁民と山地域の狩人が欠落している。

 


農ではなくて百姓の表記が正しい。

 


村地域に居住していた商工業者も百姓である。

 


職人身分の工と商人身分の商が一括して町人身分となっていた。

 


工の職人身分と商の商人身分は同じ町に住み通婚していた。

 


町に居住している平人は町人身分であった。

 


村に居住している商人と職人は百姓身分であった。

 


江戸時代の身分制度は江戸時代の前期に四日市地域に近世部落が成立した。

 


桑名藩領に7つの地域に近世部落が存在した。

 


近世部落の戸数が26軒で近世部落の人口が121人であった。平均1地区当たり3・7軒で17・3人であった。

 


非人は仏教用語であった。

 


乞食とは浮浪民・貧窮の民を指している。

 


北伊勢地域では17世紀後半の江戸時代中期から非人の用語が使用されていた。

 


江戸時代前期まで乞食の用語が使用されていた。

 


乞食も仏教用語である。

 


僧侶が修行の一種で各世帯を回り家の前で托鉢を立ち行脚をする事であった。

 

 

 

近世社会では乞食は居場所を離れて生活困難の家無しのため物乞い生活をしていた。

 


桑名藩領に1448人もの多数の乞食が存在していた。

 


矢田村に乞食の居住の記録があった。

 


非人番頭・乞食頭の記述があった。

 


天保期に取締り文書では非人の用語が記載されている。

 


京都で新非人狩りがあり調査があり庄屋が文書偽造の罪で非人身分となり亀山藩領に追放された。

 


被差別部落の料理

①午黄(ごおう・胆石)

熱さましで体温を下げる風邪治療効果と疲労回復効ありで、硬いもので硬い午黄は品物として最適である。

軟らかい物の柔軟な午黄は虫害が原因で食品として使用できない。

②牛の胆汁は胃の病気を治す効果がある。牛殺害場の軒の日陰で風通りの良い所に吊るして牛の胆汁を干した。

③化製業は牛殺害場で育成殺害された家畜の皮と骨と脂肪を化製業者が扱った。

 


内臓と血液も処理していた。病気で死亡した家畜と事故死した家畜と養殖ウサギと野生動物を扱った。

 


寺方地区と赤堀地区には原皮業者がいた。

寺方地区は1950年代まで赤堀地区は1980年代の集落の改良事業まで化製業が盛んだった。

現在は愛知県の化製業者が化製業の中心である。

 

 

 

赤堀の化製業は明治時代初期から化製業が営されていた。

 


赤堀地域の化製業の経営者は代々喜右衛門の名称を継承していた。

昭和29年に4代目喜右衛門の時代となった。

戦前の昭和20年まで原皮と骨と内臓の取り扱いに忙しく太鼓の張り替えの熟練の技術が必要であった。

原皮は仲買のみで毛皮が中心であった。

内臓は従業員の1人が戦後独立する際に権利が譲渡された。

 


4代目喜右衛門が経営者だった時代に経営者の家族を含めて従業員が合計10人程度であった。

 


四日市の市域の村々

伊勢国

鈴鹿郡⇒3ヵ村

三重郡⇒60ヵ村

朝明郡⇒36ヵ村

合計⇒99ヵ村

江戸時代の領主

①幕府=代官

桑名藩

③忍藩

④長島藩

菰野

亀山藩

⑦津藩

⑧久居藩

大和郡山藩⇒四日市+浜田+橋北+浜一色+小杉+小古曽など内部地域

②吹上藩⇒野田

③一宮藩⇒阿倉川+芝田

④津藩⇒坂部+県地区+桜地区+松本+山之一色

⑤久居藩⇒高角+中川原地域

菰野藩⇒水沢+小山田

亀山藩⇒小松+鈴鹿内部地域+和無田+鹿間+水沢野田

桑名藩⇒八王子+室山+西日野+東日野+富田六郷+朝明郡地域

⑨長島藩⇒塩浜地域

紀州藩⇒泊

⑪忍藩⇒大矢知地域

⑫日永⇒幕府領+神戸藩

⑬寺方⇒津藩+久居藩

 


近世の身分 

天皇+皇族など

②公家身分

③武士身分

④百姓身分

⑤町人身分

⑥えた身分

⑦非人身分

⑧僧侶身分

⑨神官身分

被差別身分

えた・非人以外に説経・猿引

野ひにん

年貢の負担に耐えられないは百姓のケース。

百姓が奉公先で行方不明のケース。

犯罪行為で身分を落とされた者。

ささら

佐々羅や経本と記述。

伴奏楽器が二種類あり。

竹製の字と木製品の絵の字がある。

念仏踊りと獅子舞と大神楽を使用。

ささら身分とは?賎民身分の者。説教者である。

伴奏として、ささら、木使い、社寺の縁起を語り、節分によって民衆を説くものである。

ささら語り

安寿姫と蔚子王はさんせう大夫

石堂丸が刈萱堂の物語

摂津の四天王寺が非人関係のしんとく丸

近江の山本権現関係の愛護の若

熊野の霊験語り小栗利家の昭手姫の物語が多かった。

鉢叩きは別名ヒサゴ叩きで鉢・鉢屋・鉢開き

京都では茶せんと称した。

空也上人の流れをくむ。放浪の念仏の集団に所属していた。

僧形の鉢を叩き家々から酒福された。

理由は中世に一般民衆のため仏教寺院を供養しなかったので阿弥陀仏を唱えて死者の供養をした。

猿引は猿回しと猿飼いを伴い猿がさまざまな芸を演じて新春を祝ったり祝儀を得る芸能の民であった。中世の猿は神の使いであった。

馬教は母猿を飼育する職業で馬の病気を除去して猿を使用する呪術者とされた。

陰陽師は特殊な占い方法で国家社会個人も吉凶を占い呪術作法を行う術士とされた。

土御門家の安倍氏が有名である。

村落を遊行して民衆とため呪術的な加持祈祷占い祓いなど儀式を行い農作業の暦を頒布した。

 

 

 

 


舞太本は無々の中で一流の者の名称。

願人は本来願人の意味。

神仏への願掛けの代理人の願人坊の願人坊主の略語である。

江戸時代に門番⇒大道芸⇒道芸⇒僧

江戸時代2人1組に誕生仏を桶に入れて人々喜捨して人の代理として願掛け修行をした。

行人⇒行者と呼ばれて仏道の修行をした者。慰問をした者。

道心者は特定の寺院に所属しない道心坊と同じような仏法に帰依した者。

こぜ女⇒目に障害のある女性で2人から3人組で放浪して三味線を弾けて祝儀を得た者。

座頭⇒目に障害がある男性で針+灸+マッサージの仕事をした。

神事の舞は芸能文化で阿倉川村と桑名太夫村の太神楽は有名である。

 


平安時代度会郡多気郡③飯野郡の神三郡の伊勢神宮の神宮領土であった。

三重郡朝明郡の神官荘園で御厨と御国が設置された。

朝明郡で28カ所、三重郡で242ヵ所の御厨と御国ができた。

 


室町幕府の奉行衆

①朝倉氏⇒保々西城+中野城+市場城+茂福城

②海老名氏⇒下野山城

横瀬氏⇒広永城

本百姓は5人組は共同責任で村役人で5人組で統括して領主命令で年貢を取り立てて納入して農民を支配した。

 


名主と組頭は本百姓の中で有力農民で世襲的な話し合いの選挙で領主の代官の承認を得る。

百姓代は17世紀末に誕生した新しい村役人の小百姓の代表として村行政の監察の役目をした。

 


名主は名字帯刀が許される高い格式を持つ

 


村請制は有力農民が名主を支配する機構にくみこみ村単位で年貢を納入する義務を課して村にしばりつけて農民を支配した。

 

 

 

四日市被差別部落地域4地区の特徴は以下である。

 


赤堀地区・日永天白地域の都市部の2地域は旧東海道沿いの平野部の集落である。

 


保守農村の保々地区小牧地域と神前地区寺方集落は四日市市北西地域の山寒気候の農村集落である。

 


昭和9年度の人口調査

①小牧(保々地区)⇒55戸

②寺方(神前地区)⇒65戸

③赤堀(常盤地区)⇒41戸

④日永天白地区が11戸で最も小規模な集落である。

 


小牧地区及び寺方地域の特徴は①山寄りの地域である②農村地域である③地形地理は藁葺き農村型の家屋である。

赤堀地区及び日永地区の特徴は①現在は四日市の市街地の一部となっている②農家はわずか1軒から2軒である。草履作りと靴職人などを仕事としていた③藁葺きの家と町屋タイプの家が多い。

 


小牧村は三重郡保々村に所属。昭和32年四日市市に合併。四日市の市域の北西部。朝明川の河岸部の段上の丘の上にある地域である。4ヵ村で最北部の位置にある集落である。昭和9年の統計では戸数が55戸で人口が302人である。稲作と養蚕を主な生業とする農村であった。農業は自作農が2軒から3軒であった。9割以上が小作農であった。稲作面積は15町。平均耕作面積は4反程度である。養蚕が盛んで草履作りと伊勢オモテの製造を小牧村の村民の現金収入となっていた重要な仕事であった。女性の副業的な仕事にもなっていた。大部分の男性は生計が不十分で村外へ日雇い労働に行っていた。戦後呉服商と下駄の行商に行っていた。女性は小学校卒業後に紡績工場で働いていた。檀家寺はいなべ市東員町真宗高田派の大雲寺であったが明治時代から大正期に保々村内の浄土真宗本願寺円覚寺に移管した。享保3年に再建された天台宗真道寺が応仁元年に蓮如に帰依して初代住職の円覚が改宗して浄土真宗の寺となった。氏神神明社明治41年に殖栗神社に合祀された。祭神は殖栗連と天照大神延喜式内社で明治時代の1村1社政策から村内各所の神社が統合された。

 


寺方村は旧三重郡神前村所属で昭和29年に四日市市に合併。昭和9年度の統計。戸数65戸。人口282人で4ヵ村で最も戸数が多い村で小牧村と同じ農村地帯の部落である。

耕作面積は11町で平均耕作面積は4戸から5戸である。

村内に大地主あり。半数が小作人で土地を借りて農業をしていた。牛殺害畜産場があり畜産が盛んである。男性は日雇い労働と出稼ぎ労働をしていて、女性は草履製造と内職の仕事をしていた。

明治初期に村内に共同畜産牧場が誕生して家畜殺戮業者・肉販売・化製業者が多い。明治42年三重郡神前村営畜産牧場へと発展解消した。仕事を四日市港の土木労働者・瓦屋・万古焼職人であった・檀家寺は赤堀地区と同じ常盤村の誓元寺である。氏神は4ヵ村で唯一独自の氏神の高角神田天白神社である。江戸時代から嘉村独自の氏神であった。高角神田天白神社の祭神は天照大神と大山祇尊である。白山社の名称が明治22年に現在の社名となった。氏子は寺方村民78世帯で構成される。近隣の区画整理事業で景観が一変した。

 


日永村は旧三重郡所属で四日市市域の南東部の旧東海道に近接する都市型部落の集落を形成している。

昭和9年の統計では戸数12戸で人口が89人である。日永村の近くに天白川が流れていたので水害に悩まされていた。大正12年+昭和46年+昭和47年+昭和49年に天白川が決壊した。

赤堀村とは鹿化川を挟んで至近距離にある。

 


日永村と赤堀地域の共通点

①低湿地に家屋が密集していた事

②ほとんどが農業以外の生業に依存していた事

昭和16年の同年に四日市市に合併した事

④赤堀村とは麻裏草履の製造を通して常に交通と交流があった事。

 


戦中に日永村が15戸から16戸だった頃に自己所有の家は5戸で他の10戸は村外の地主の借地を坪50銭程度の借地料で借りていた。農業は1軒のみで耕地面積は5反から6反程度であった。

戦前は全員が勤めに出ていた。

具体的な仕事内容

①下駄+靴+コウモリ傘の修理

②港湾労働者として出稼ぎで生計を立てていた。

女性は家でオモテ作りをして⇒出来上がったオモテを赤堀村の草履製造業者の所へ持って行き賃仕事としていた。赤堀村とは深い交流があり冠婚葬祭では村中が総出となった。

昭和30年代まで全員が朝まで通夜をしていた。人口は自然増加していた。増山英一をリーダーに部落解放運動があった。宗教の仏教は真宗高田派織田信長豊臣秀吉徳川家康の保護を受けて真宗高田派から改宗した。神社は大宮神明社四日市南高校付近の岡山付近にあり船付明神と名乗っていた。永禄5年=1562年に現在地に移転して江戸時代に神戸藩主本多家の崇敬を受けていた。摂社は桂大神社で古来から病気平穏の神とされて信仰されていた。氏子は大瀬古町+天白町+中元町の560戸である。

チベット語

チベット語
生姜⇒ガムグ
首都⇒ゲエルサ
出費⇒ドホソング
出版する⇒パトゥ・ルンチ・チエエ・パア
出版社⇒パトゥルン・チエエパア
出身⇒キョエフング
出産⇒ンゲル・キョエ
おしっこ⇒チンパタン
醤油⇒チャングユウ
将来⇒マオングパ
条約⇒キェンギャア
商店⇒ショング・キャング
商人⇒ショングパ
小学校⇒ロプチャ・チュングワ
正月⇒ロサアア
金⇒セル
銀⇒ングール
禁煙⇒チャム・チエンミ・チョーグ
近視⇒ミグ・ギャング・チュング・チュンク
金銭⇒ングユー
金歯⇒セアリ
金箱⇒セアショオグ
金髪⇒トラセア
金曜日⇒サパ・サアンク
腐った⇒ルリパア
崩れる⇒ルウウパア
果物⇒シイングトオグウ
買い物⇒ニョオプチャア
外交⇒チイドラヘル
外国⇒チゲエル
開催⇒チュグバ
語る⇒ジョオパア
価値⇒リン
家畜⇒チュグソグ
家長⇒キムタム
勝つ⇒ゲルク
楽器⇒ロルチャ
子宮⇒ンゲル
死刑⇒ソグチィム
試験⇒ニグチェ⇒トオングワ
死後⇒シイイジェ
事故⇒ダプキョン
自己⇒ソソ
地獄⇒ンニェルクワ
時刻表⇒ドウ⇒チョオ⇒レエミクィ
仕事⇒レエエカア
自殺⇒ラアン⇒グミイ
辞書⇒シイング⇒チョオ
地震⇒ソヨム
静か⇒カグ⇒ミホム
使者⇒ピャング⇒チエエン
地滑り⇒サルウ
沈む⇒ヌッパ
自然⇒ラング+シュグ
自然災害⇒ラアング+チュング+ノオキョオン
思想⇒サムウパア
地蔵⇒サニ⇒ニイング⇒ポオ
舌⇒チャアイ
国境⇒サチャーム
骨折⇒ルウチャグ
古都⇒ドロング⇒エンイングパア
今年⇒チャアロオ
言葉⇒ケエチャア
子供⇒プグ
小鳥⇒チイク
粉⇒チエマア

 


チベット語

死んだ⇒チョングパ

身体⇒スグポ

人口⇒ミボア

心臓⇒ニイング

人生⇒ミケチェ

人権⇒ドアホワミイ+チョップ+チャング

親切⇒サアングポ

好きな⇒カポ

スープ⇒チャング

数学⇒アング・チイイ

数字⇒アング・チャング

すいません⇒ゴオング・パマ・トオオム

妻⇒キョエマアン

強い⇒トプチェンポ

翼⇒ショグパ

通訳⇒ケエギュラア

作った⇒トウルンパ

月⇒ダワ

疲れる⇒チャアングチェエパ

机⇒チョグチェ

道具⇒ヤプケエエ

唐辛子⇒シペン

東洋⇒サルリング

とうもろこし⇒マモオオロトゲ

動物⇒スウウドルホ

牛肉⇒ラアングシャ

牛乳⇒オマ

きゅうり⇒カングラ

給料⇒カンゲラ

今日⇒チェリンア

教会⇒イハキャンク

教科書⇒ロプチェプ

教師⇒ゲエンラ

教室⇒ジングキャアング

兄弟⇒ミイングシング

果物⇒シイングトグ

クッキー⇒カプサイ

靴⇒イハムキョグ

苦痛⇒カンゲル

私⇒ンガ

あなた⇒ケラン

彼⇒コン

お母さん⇒アマラー

お父さん⇒パーラー

子供⇒プグ

こんにちは⇒タシデレ

ありがとう⇒トゥジェチェ

また会いましょう⇒ジェーヨン

これは何ですか⇒ディカレレエ

分かりましたか⇒ハコソンゲ

分かりました⇒ハコソン

分かりません⇒ハコマソン

いつ⇒カトゥ

どこに⇒カバー

誰⇒スゥ

何⇒カレ

どれ⇒カキ

どのようなもの⇒カンデ

チベット⇒プウ

日本⇒リピン

男友達⇒トポ

女友達⇒トモ

清める⇒ジャニグワ

切り傷⇒マカア

切る⇒チョオパア

空気⇒ルング

会社⇒カムパニ

改造⇒チョオ・ギュウグア

改革⇒セルシュ

絵画⇒リモ

カースト⇒リグ

海岸⇒ちょおどらあむ

階級⇒チムリム

臭い⇒チビン・ゲエン

蚕⇒チャアブウ

薬⇒メンキヒイ・チョング・キャアング

担ぐ⇒グファ

学校⇒ロプチャ

活動⇒チェエゴオ

家族⇒ミシャアング

悲しい⇒キョーポ

必ず⇒ニンチイング・ミンチング

 

チベット語

卵⇒ゴンガ

魂⇒ナムシェエ

堕落⇒プングワ

チーズ⇒チュルラ

地下⇒サオグ

誓い⇒タグンニェーポ

地球⇒セキョーラ

うんこ⇒キャグパ

大豆⇒センセア

ダイヤモンド⇒ドーゼ

太陽⇒ニュイマ

タオル⇒アチョール

倒れる⇒ゲエルワ

高い⇒トーポ

高い値段⇒キョホンチェンポ

耕す⇒モーポ

宝⇒ノルブ

滝⇒バブチュ

中絶⇒ンゲルルグング

戦い⇒チャプジイング

戦った⇒チャプル

正しい⇒ヤングチャプル

タバコ⇒チャマグ

食べた⇒ガムパ

断食⇒ニェングネエエ

単語⇒ツシング

だるい⇒ニョーポ

近道⇒ニェラマ

陰毛⇒リグプ

男性器⇒リグパ

男性⇒キョホキャハ

おっぱい⇒ヌーマ

地図⇒サプタラ

知事⇒ゾングポオン

鶏肉⇒チャーサ

誕生⇒キョワ

誕生日⇒キョーシエエ

水餃子⇒モグチュグ

水晶⇒チュシュル

水田⇒シイング・キャア・チュウマア

水曜日⇒サルハアグパ

優れる⇒パアグパ

涼しい⇒シルポ

頭痛⇒ゴセル

少ない⇒ニュング・ニュング

姿⇒ソプタ

信用する⇒ロキェルク

新聞⇒ツア・グパア

神社⇒イハ・キャング

新鮮⇒ソオオパア

買う⇒ニョオワア

返す⇒ログハマ

害する⇒ノオケエルワア

解説⇒ドレホルシェエ

改善⇒ギュルチョオ

解放軍⇒チイング・ドロホール・マグ

回想⇒チョベルソ

書いた⇒チリイパア

蟹⇒ディグシイン

金持ち⇒ギエグチエエン

可能な⇒シイパア

彼女⇒モオ

下半身⇒クメエ

花瓶⇒プウムパア

変えた⇒ギュルパア

蛙⇒ベルパア

帰る⇒ログパア

変える⇒ギュルワア

顔⇒ドオング

顔色⇒ンゴドグ

香り⇒キリシヘ

画家⇒リモワア

価格⇒キョオング

妻⇒キュエマン

 

 


チベット語A

物⇒ヂャラー

年⇒ロ

身体⇒スグ

土⇒サ

尼⇒アニ

自然の色⇒ンドー

意味⇒トゥンダー

短い⇒チュンデュン

ズボン⇒クドゥン

石⇒ド

馬⇒ダ

行かないで下さい⇒マデー

行かなかった⇒マヂン

バター⇒マー

赤い⇒マーボ

ンベーボ⇒豊富な

ンブ⇒虫

チベット⇒プー

パマ⇒両親

大きい⇒チェンボ

蛙⇒ベーバン

皮⇒バクバ

ずっと居る事⇒デーデー・バ

インド人⇒ギャガ・ラ

モンゴル人⇒ソゴ・ツオ

衰える⇒ソゴ・ツオ

秘密に⇒コー・ラ

教えたこと⇒ラ・バ

チベット語⇒プーゲ

娘⇒ポモ

母⇒アマ

土鍋⇒ヅアゴ

麦こらし⇒ヅアンバ

後=跡⇒ヂェー

物⇒ヂャラー

山⇒リ

粗い⇒ローロー

頬⇒ンダンバ

岩⇒ター

血⇒ター

音⇒ダ

髪の毛⇒ダ

氷⇒キャクバー

インド⇒ギャガー

貧しい⇒ギョボ

テント⇒クー

名前⇒ミン

箱⇒ガム

豚⇒パクバ

写真⇒バル

針⇒カプ

病院⇒メンガン

首⇒ングュー

痰⇒リュバ

チベット⇒プー

チベット人⇒プバ

布⇒レー

薬⇒メン

少女+娘⇒ポモ

土地⇒サジャ

お金⇒ングュ

手紙+字⇒イギ

おいしい⇒シンブ

店⇒ツオンガン

あなた⇒ケラン

食物⇒カラー

靴⇒ハンゴ-

良い⇒ヤゴ

白い⇒ガーボ

召使い⇒ヨゴ

貧しい⇒ギョボ

権力⇒ワンダン

病気⇒ナヅア

尼⇒アニ

意味⇒トゥンダ

ズボン⇒クドゥン

お子様⇒アワ

赤い⇒マーボ

人々→ミ、ツオ

図書館⇒ベンズ、カン

チベット語⇒プーゲ

速い⇒ンギョゴ

衰えたこと→ニャム、バ

箱⇒ガム

私⇒ンガ

ゆるゆるの⇒ヒャンヤン

旗⇒ターヂョ

角=端⇒スー

毛⇒ブ

大がらす⇒ボロー
目⇒ミー

金⇒セー

火⇒メ

私は⇒ンガ

頭⇒ンガ

浮かぶ⇒ヒャン

茶碗⇒ガユー

気の強い⇒キョン

おいしい⇒シンブ

肉⇒シャ

魚⇒ニャ

響きの良い⇒ニェンボ

鍬⇒ンヂョー

柔らかい+優しい⇒ンヂャンボ

茶⇒チャ

小さい⇒チュンヂュン
クラス⇒ンヅィンダ

入る⇒ンヅュー・バ

汚らしい⇒ツオルボ

時間+時計⇒チョヅー
神⇒ラ

 

昭和生まれのじいさん婆さんなどに優しく福祉優遇など昭和生まれのふざけた老人に優しくするのは僕ちゃん良い子ちゃんの偽善である。
警察官が犯罪者を射殺しない殺害しなかったら僕ちゃん良い子ちゃんの偽善者である。長崎市長を暗殺した犯人で政治家を殺害した容疑者を死刑にしなかった裁判官は僕ちゃん良い子ちゃんの偽善である。子供2人など肉を食べないベジタリアンの僕ちゃん良い子ちゃんが偽善がある。
 
子供の数が2人の普通のサラリーマンの田中さんが良いなど自分が経営者で子供3人や1流大学を目指さない堕落した日本人の馬鹿がいる。
 
自分がきちんとしていない日本人で自分が駄目な昭和生まれの老人なののに人権下さい年金下さい福祉ください老後の面倒見てえなどずうずうしいにもほどがある。学歴や家柄で差別はいけません差別は駄目だあ。平等だあ権利だ必要が無い権利や主張で差別だ人権だを叫ぶ馬鹿な子供の人権主義よりも重要なのは、自分の父母の両親の学歴や収入が高いのか低いのかの勝ち組や負け組の格差論や経済的に日本社会が格差社会である事を教えた方が良い。子供たちに人権差別思想より格差社会論を子供たにに教育した方が良い。
 
 
 
 
少し謎だった日本社会党への疑問がある。戦後の政党の歴史について日本社会党への疑問がある。日本の政界に存在していた有力政党で昭和戦後期にあった日本社会党について疑問に思うのが
昭和戦後期に存在した有名な日本社会党って言う社会主義政党の21世紀に現在は何になっている?
日本社会党が消滅した。そもそも政党組織が消滅したのか?日本社会党が違う政党になったか。社民党に党名変更しただけで規模が縮小して存在しているだけなのか疑問でる。
日本社会党の支持者は現在どうなっている。今21世紀でどの政党の支持者になっているのか?
日本社会党の支持者は現在どの政党の支持者になっている。日本社会党の政党組織は現在何になっている。
日本社会党は21世紀になり消滅した。
社会民主党て党名を変更して健在である。
日本社会党の労組政党が民主党となり⇒民主党から⇒民進党となり労組組織が民進党日本社会党社会党から民主党の後継政党の労組組織となっている
日本社会党の支持者は同じ左翼政党の日本共産党の支持になり支持者が支持政党を変更している。

この中に一体どれですか?
 
日本社会党は、従来の戦後路線を継続する硬い石のような頭集団の左派老人の政治家が多数いた。戦後路線思考のタカ派の政治家の社民党の議員になった社会党の左派と、小選挙区の新党時代に合わせて柔軟に自由経済も容認しようと考えた民主党になった右派デモクラッツの鳩山リベラル勢力のハト派で分裂した。
多くは社会党の議員はハト派で、民社党と合併して民主党を立ち上げた。
右派労組の民社党と左派マルクス労組の日本社会党では労働政策の政治思想的には水と油みたいなもので対立関係である。
単純に民社党社会党の労働者政党の支持基盤が同じ労組だっというだけで一緒の民主党の2大政党のなったために、今の民進党が右の保守から左翼リベラルまでいて思想がバラバラで政策がいい加減で政党の重要な党の方針すら定まらないのは保守の若手政治家+左翼議員が労組基盤で合流した人工的な二大政党を無理やり創設したのが背景である。
少数政党になった社会党左派のタカ派は、社会民主党と党名を変えて存続⇒フェミニズム女性政策⇒平和護憲思想の市民政党になり存在で努力したが⇒日本国民の支持を得られずに選挙の比例区の得票支持で敗北して、有力議員の死亡や高齢化で弱体化した。
 

日本社会党支持者で労働組合員の日本社会党支持者は、労組⇒民主党支持者へ鞍替え。左翼平和思想の支持者は、社会民主党を支持したが、組織的なつながりなく社会党勢力は衰退した。
社会党支持者から共産党支持者に移った者は少数だとされる。理由は共産党支持者は、初めの昭和戦後期から日本共産党を支持する。
社会党は、労組組織票を持っていたが、実際は、戦後の保守政権の自民党に不満がある戦後政治を批判する無党派層の支持を多く集めていました。
昭和戦後期の日本⇒選挙の投票で自民党以外の政党に票を投票⇒一定勢力の革新政党支持の無党派層が存在していた。平成21世紀の
日本にはこの日本社会党などを支持して革新政党に投票する無党派層が消滅した。革新政党支持の無党派層の消滅が自民党以外の政党は、すべて弱小政党になった理由である。2010年代に安倍支持層となった支持政党は無しの有権者は⇒とりあえず自民党の安倍政権に投票する保守無党派有権者がいるのと同じように、昭和戦後期はとりあえず野党に入れる有権者がいたのです。
革新無党派有権者は高齢化して投票に行けなくなったとか、死亡したとかで激減しました。平成8年年1月に社会主義革命政党のイメージを払拭するため社会民主党に党名を変更して現在は2022年7月頃まではギリギリで政党要件を満たせる状態である.
日本社会党から社民党になったが言論の自由がある政党であり社民党への党名変更と同時期に、反発した者が新社会党を結成するが、短期間で政党要件を喪失した。

平成7年頃まで障害者抹殺思考から誕生したナチス的思想の差別悪魔がいた。日本社会党の中絶障害者暴力の女性堕落思想が健在であった。少子化推進の中絶思想の加藤シズエ主義の馬鹿女の思想が健在であり、平成8年9月に社会民主党は大きく分裂した市民勢力の分派が新党さきがけ(平成5年に自民党から分裂した環境主義の市民政党) および、社会民主連合(1970年代に日本社会党の離党者が結成した都市市民のミニ少数政党)の市民政党の出身者と共に民主党を結成した。平成10年9月、前年末の新進党解党によって誕生した民政党(保守系の勢力) 、新党友愛(民社系の勢力)+民主改革連合(細川政権に会派として参加、後に政党化した労組の連合勢力)が民主党と合流して、民主党と結成した。
その後、2003年に自由党の合流があり、民主党が政権を獲得したのは2009年から2012年で短期間だが社民党も政権に参加して2012年の民主党の大分裂などを経て、2016年に民主党に維新の党が合流して誕生したのが民進党である。
 
 


中選挙区制度で定数が5人なら誰が当選するか分からない努力の二宮金次郎の土地重視のサービス選挙である。小選挙区制度ではイオン企業の岡田克也議員や自民党世襲議員が努力無しで楽勝で当選する。政治家が努力しないで有権者の支持基盤を重視しない可笑しな選挙制度である。勝負ありの選挙区が多い楽勝の選挙の繰り返しが小選挙区制度である。今川義元の楽勝だらけで勝利するつまらない選挙で選挙自体が意味が無い選挙である。中選挙区制度の場合は誰が当選するのか分からない選挙結果が確定していない当選者が分からない選挙であった。土地重視の地盤組織稼働の政治で誰が当選するか分からない選挙制度中選挙区選挙制度であった。国民有権者の3割の支持が必要な組織政治家が多かった。地方農村部の保守農民層と経営者を支持基盤とする自民党が候補者を3人から5人を選び複数の候補者が立候補して2人から4人が当選する。

日本社会党が左翼思想の労働者政党である。労働組合の支援で1人が安全圏で当選する。左翼思想の社会主義政党と右翼思想の資本主義政党の第3の道が第3中道路線の仏教勢力の公明党である。1999年人類滅亡思想で中道第三勢力の仏教ナチス公明党が存在している。子供2人が良いだ年金生活で福祉重視だなど日本社会党のせいで国民が馬鹿になった。坂本竜馬の幕末の志士や徳川家康など戦国武将が21世紀に生きているより迷惑な昭和生まれの老害は21世紀社会で時代遅れなアホで昭和戦後のボケ老人である。加藤シヅエ土井たか子田嶋陽子の馬鹿の左翼の日本社会党系で汚い仏教悪魔のバアアの影響で地獄の落ちる女性イブの女性の苦しみ国家となった。本来大日本帝国で主流だった良妻賢母の女性像でそれ以前の仏教時代の日本女性あった良妻賢母と老いる苦しみを感じる神様仏様の女性の心から戦後世代の昭和生まれの高齢女性が汚いバアアになった。ババアの仏教悪魔女性が急増して昭和生まれの高齢女性が西暦キリスト教思想のリンゴを食べたイブである。老いの苦しみを否定して女性倫理が無いリンゴを食べた馬鹿な女性である。仏教的に老害の49の四苦の仏教悪魔のマンタリンがあだ名の女性の姿で生きる悪魔である。四苦思想の生きる老いる病死の人生で1999年の仏教地獄に落ちるリンゴを食べてイブである。ダラケの悪魔の昭和生まれの老人で老害になっている。公明党はお釈迦様のインド仏教思想を付け継ぐ日本で唯一の政党である主張がある。創価学会は性欲が強いヘアヌードな釈迦様である。公明党徳川家康正室築山殿の呪いでできた成立した政党宗教で来世で夫の徳川家康創価学会の女性に降参させる宗教である。公明党創価学会以外に広く神仏を信じる日本人に支持される大衆政党で性欲が強いお釈迦様である例えがある。檀家の仏教寺院と疎遠になった大阪府などの都市部に田舎の農村から来た元農家の都市労働者+サラリーマンが創価学会に入信して中道政党で福祉政策の支持者が多い新興宗教団体が創価学会である。仏教宗教政党公明党が、創価学会の支持で当選基盤があり1人が当選する。
選挙制度では、日本社会党は左派労組政党である。田口一男⇒伊藤忠治など労組組織が支援した日本社会党候補と創価学会の宗教組織支援した公明党候補は組織力で強力だが、組織力が当選を左右している政党である。民社党は右派労組政党である。中井ひろしなど民社党西村真悟など右派労働者政党で、右派労組より無党派層が支持した政党である。社民党は2000年頃に女性的主張が強力になり過激な男女平等のフェミニズム政党であった⇒2011年頃に議員間の自由平等度と政党内の言論の自由度が日本一の政党であった⇒平成30年の平成末期の2018年に政党倒産危機の絶滅危機政党となっている。

その他の政党は右派的思想の労働者政党の民社党天皇制打倒の極左政党の日本共産党+都市型の新党が1人当選の可能性があるのが中選挙区制度だった。

平成時代の小選挙区制度では小泉進次郎小渕優子などの世襲議員が努力無しで当選する。
イオン大企業の岡田克也に家柄が良くないような自分の家系が無い事と学歴が高くない庶民の下流三重県民が投票するなど小選挙区制度では世襲議員の強力候補相手で勝負ありで最初から結果が分。